HOME > DIARY
DIARY
<トーホクトークの記事>
会津へ行ってきました 2012年4月26日 先日はお休みをいただき、 あれから1年 2012年3月12日 昨日、東日本大震災から1年が過ぎました。 南三陸町の話 4 2011年12月 9日 山には田畑があります。
震災後に田植えをして、稲が刈られた後です。 ![]() 地区にもよりますが、電気が通るまで約1カ月 水道が復旧するまで約3カ月かかったところもあります。 不自由な間はみんなで助け合って生活をしていたそうです。 その頃東京では買占めや品不足がありましたね。 東北新幹線から見る風景は宇都宮あたりから 屋根にブルーシートがかかっているお家がたくさんありました。 震災以降、現地はどうなっているのか、何か出来る事はないのか... 日々考えております。 情報や支援の形は色々ですが、ストレートに伝わる事ばかりでもなく 矛盾や誤解もあるようです。 震災に限らず、一人の力はわずかですが 一人ひとりが気持ちを持っての言動とあらば、 誰かの笑顔に繋がると信じております。 また来年、南三陸町はもちろん東北を訪れたいと思います。 ![]() 東北のお話しでした。 南三陸町の話 3 2011年12月 9日
![]() 右の赤い鉄骨がよく報道されました防災庁舎です。 屋上に上がった役場の方々が波にのまれ たくさん犠牲となってしまいました。 左の大きな建物が町の病院でした。 まだ船が乗ってます。 私もここで産まれました。 当日の写真や映像を見ると津波にのまれた町は 信じられない光景でした。 今は、避難所になっていた別の場所の駐車場に 仮設の病院があります。 プレハブでできた病室内は狭いので、 待つ方が増えると外の椅子になります。 夏の暑さやこれからの寒さを考えますと 病人やお年寄りには大変厳しい事と思います。 ぽつりと建っているコンビニもプレハブです。 ![]() 海ではタコの水揚げもしていますし、ワカメの種付けや ホタテの養殖の準備も少しづつ進んでいるそうです。 本当に、皆さんたくましい。 仮設住宅にもおじゃましました。 作りは色々ですが、共通して狭くて寒いです。 (きっと夏は暑かったでしょうね。) エアコンはありますが、一部屋だけになので 台所やお風呂場(ユニットバス)はたぶん外の気温に近いです。 2年間とのことですが、その間のご苦労と 2年後にどうなっているのかを想像すると・・・ 心からの早い復興を願うばかりです。 ...つづく 南三陸町の話 2 2011年12月 8日 リアス式海岸の独特の地形ですので |











